死んでしまった親友の話(3)

玄関にうずくまって真っ青になっていた親友と、私は、翌日お出かけすることになっていました。天気のよい春の朝。スプリングコートを着込んで、さあ出発。

 

ただ、テンションが高めな私と比べて、親友はずっと黙っています。なんだろう?どうしたんだろうと思いながらも…。目的地に到着。

 

そして、ちょっと諸事情で一時的に別行動することとなりました。私は当時、再就職活動の準備中で、何かと電話がかかってきたり、支援センターに呼び出されたりほかの友達との約束に誘われたりすることが多々あったからです。

 

で、用事をおえて、親友のところに戻ってみると、人の輪ができていました。なんだろうと思ってみてみると、その輪の真ん中で、彼女が号泣していたのです。それはもう、なんと表現したらいいのか、悲痛な表情で、絶望したような、これまでの人生であまりみたことのないような、悲しそうな表情で泣いていました。

 

「私は汚らわしい人間なんです」

 

と彼女はいいながら、泣き伏していました。

急にどうしたのだろうと私も動揺していると、ほかの知人がやってきて、先ほどまで親友の相談に乗っていたと。そして、

 

「私(親友)は困っている人を『邪悪な人間』と思ってしまってしょうがない、心の汚い人間だ」

 

といっていたというのです。

困っている人、邪悪な人間、というワードでピンと来たと思いますが、前日夜の、あの杖をついたおばちゃんのことではないでしょうか。つまり、杖をついた酔っぱらいのおばちゃんを、親友は「邪悪なものに声掛けされた」といっていたのですが、私は「助けてあげて偉いね」と真逆の解釈をしていたのです。

 

そうしているうちに、誰かが救急車を呼んだらしく、大騒ぎになって大変なことになりました。でも、この件で救急車を呼ばれても、救急隊も困りますよね。だって、“事件“は前日の話なのですから。

 

彼女は運ばれていきました。そして彼女は、このできごとをきっかけに精神のバランスを崩してしまいます。

 

私は困惑していました。

あの日の、あの夜の、たった数分の出会いで、人がおかしくなるなんて。

 

ただ、おかしいのはここからで、彼女の心の闇がいっきに噴出するのです。本当に、素敵な人だと私は思っていました。人の心の痛みがわかって、誰のことも大切にしていて、いつも微笑んでいる、ファミレスにいけばお水にレモンを沈めて人数分もってきてくれる、とっても上品な自慢の友達。

 

ファッションセンスもよく、一緒にプチプラのお店に通って洋服を選びっこしたこともあります。私が再就職すれば涙を流して喜んでくれ、親と喧嘩したとえいば、「仲直りしなよ」といってくれる、世界で一番大切な友達。

 

でも、死んでしまいました。死ぬ前最後にあったとき「あの日からずっと、何かがおかしいんだよね」と言っていたのを覚えています。それから何が起こったのか。


2020-02-14 11:55:10

Writer:namonakiwriter

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