死んでしまった親友の話(4)

私との意見の食い違い。

それも、真逆の。

 

杖をついたよっぱらいのおばちゃんを、親友は「汚らわしい、邪悪なものだ。私が黒い服を着ていたからつけこまれたのだ」といい、

私は「体の弱い人を少し助けてあげてさすがだと思う」という。

 

その意見の食い違いが、とてつもない衝撃を彼女の精神に及ぼしたようでした。

もう10年近くがたった今なら、わかります。もしかしたら、彼女は内心、差別者だったのかもしれない。大学教授の娘できれいな家に住み、ピアノの先生をしている彼女は、ぼろいアパートに住んでよっぱらって近所の人の手を求めるおばちゃんを軽蔑していたのかも。そして、私の言葉で、価値観がひっくり返されてショックを受けたのかもしれない。

 

「私は汚らわしい女なんです」

 

という言葉は弱者差別をする自分自身がけがれているという意味。そして、さらに重要なことに、その心の奥底の差別心が、彼女自身に向いてしまって、親友はそのあととても苦しむことになります。

 

それからは、しんどいのであまり書けないのですが、とにかく人格が変わったようにボロボロになっていきました。精神病院で起こる(ほかの人への)身体拘束や、服薬への偏見。「私は麻薬(向精神薬)依存なの」といって、シニカルな笑顔でこちらを見る姿。

 

とても豹変していてショックだったので、私はあまりお見舞いにいきたくなかったのです。さらに彼女の入院していた精神病院は、とても辺ぴな場所にあり、雰囲気も暗くて、さらにはお見舞いにいくとほかの患者さんがじろじろ品定めしてくるのです。それでも、手紙をくれるので、会いに行っていました。

 

短期の入退院を繰り返し、最後の最後に、彼女は薬をやめようとしました。自己判断による断薬です。その結果、また救急車で運ばれ…。

 

そして、最終的に、入院している病院の中で亡くなりました。

 

私は最後までお見舞いにいきました。最後にあったとき、彼女は開放病棟の廊下でお見舞いのテーブル越しに泣いていました。「精神科に入ってつらい」「私はおろかだった」「最初にメンタルクリニックにいったとき、お姉ちゃんについてきてもらった。姉のいうことを聞いたのがすべての間違い」と。

 

確かに、精神科に入院するのはきついと思います。そして、私から見たら、自分自身の中のある種の偏見が、ご本人をより苦しめているように感じました。心の病を持った人への偏見、貧しい人への偏見、弱者への偏見・・・やさしそうに微笑んでいるその裏で、もしかしたら強い憎悪を持っていたのかも。そして自分がその属性になったとき、これまでの偏見が自分に突き刺さって、毎日毎日、泣きぬれて暮らすしかなかったのかなと。

 

このころのことは、記憶があいまいです。なぜなら、私自身もまた、脳の病気に侵食され、だんだんと現実がゆがんでいたころだったから。私と親友。同時期に大きな心の病となり、何か関連性があるのかもしれないし、偶然かもしれない。ただ、似たもの同士がひかれあうとはいいますよね。一緒にいた仲良しのふたりが、どちらも入院になるということは、もしかしたらあの楽しかった無職の日々は過ごすべきではなかったのかも。

 

でも、私は生きることを選びました。

2020-02-14 12:26:11

Writer:namonakiwriter

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