コラムの書き方


「コラムの書き方」をコラム枠で書くという“ひねった“記事でお届けします。

さて、そんな冗談はさておき、個人的に考えるコラムの書き方をお届けしていこうと思います。

 

「世界の考察」を通じて

 

私が考えるコラムのあり方・書き方とは、「世界の考察」だということです。つまり、自分という書き手のフィルターを通して、世界の一部を切り取って考察していきます。たとえば、マクドナルドを見て感じたこと、スシローにいって感じたこと、シャネルで化粧品を売ってもらえなかった日のこと、、人生にはさまざまな出来事が起こりますが、それを切り取っていきます。

 

「世界の考察」を通じて、ひとつのものの見方を読者に提示するー。

それが、私の考えるコラムのありかたです。

 

ここで、自分に起こったことを時系列で書く人もいるんですね。こんなことがあったって。それももちろん文章としてはありなのですが、考察とはちょっと違いますよね。

 

文章はリードが命

 

リードに命をかけましょう。冒頭の文章ということです。ちょっと謎を散りばめたり、長くなるときはヒントを書いたりして、最後まで読み切ってもらうためには冒頭のリード文に魂を込める必要があります。

 

Webのコラムは、完読されないことが多いです。ダラダラ書いてしまうとそうなります。よって、見出し(h2)のたびに、最初に軽いまとめと、末尾に次の章へのヒントを書けば、どんどん読みすすめてもらえるのではないでしょうか。

 

読み手の心をゆさぶるには

 

コラムは別に魂を揺すぶられる必要はないのですけど、読者の心を震わせることも文章でできます。マスを狙うには、一般の人の心を動かすには、身を切り刻むように自分のことを書くといいのではないでしょうか。心を削って書けば、その分だけ読者には伝わります。

 

ただ、私は個人的に心揺さぶる系の文章は好きではないのですよね。もっともっと、天才肌の人に憧れるので、さらっと面白いことが書いてある人が好きなのです。なぜか?今まで私はやたらめったらドラマチックな精神病の方にたくさんであいました。人生がジェットコースターのようであり、緩急に満ちていて、揺さぶられると。

 

それでも、揺さぶられると思ってるのはご自身だけで、はたから見るとただの逸脱でありめんどくさい人でしかないと、そう思うこともしばしばありました。普通の人達から見たら、とても大変でドラマチックで、表現によっては心揺さぶられる存在であっても、私はもう底辺系の人間ドラマには飽き飽きしてるのです。

 

それよりは、普通に生活が安定していて、向上心があり、成果も出していて、というような、社会の上層にいる人のほうが、面白いことが多いと感じます。あ、もしかしたら、精神病になり病と貧困をさまよった過去と、向上心を持ってそこから抜け出した現在と、どちらも知っている自分になら、面白いコラムが書けるのではないか?ちょっぴりそんな気もしてきました。


2019-10-15 15:38:55

Writer:namonakiwriter

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