こんにちは、ハチミツです。
NagareのFGO記事シーズン7も今回で最終回です。ヘソだの成人式だの水着だの、なにかと藤丸立香に言及しがちな本シリーズ。読者の方からこんなお便りをいただきました。
(前略)はちみつさんはどうしてそんなにぐだにそこまで狂ったのですか?真面目な理由があれば是非教えてください!
というわけで今回はこちらのリクエストにお答えします。
自分語りで恐縮ですが、私がどうして藤丸立香がヘソを出してるか否かでキレたり成人のお祝いをしたり水着を批評したりするのか、その根源のお話をしましょう。
私もなにも顔が好みだとかスタイルがよすぎるだとか何着ても似合うねウフフだとかそんな不純な理由だけで彼/彼女を好いているわけではなかったりするのです。
前もってお断りしておきますが、今回は私個人のFGOに対する姿勢・考察・妄想を前面に出した、頭からしっぽまで正真正銘「好き勝手」の回です。
奈須きのこの原点のひとつ『空の境界』に登場したある老人の哲学も引用しつつ、ひたすら真面目に話していきます。
解釈違いなどありましたらご容赦のほどを。それではどうぞ。
藤丸立香は殺人者です。そして完全犯罪の成功者です。
これの大前提を受け入れられない方は、これ以上読むことをおすすめしません。
あの人畜無害な一般人にこんな称号を突きつけるのは違和感がありますが、それでも私は彼/彼女はそうなのだと信じて疑いません。
藤丸立香が人を殺したのは人理修復をなしとげた決戦の特異点、時間神殿ソロモンでの最終局面。
人王ゲーティア。
最初は歯牙にもかけなかったひとりの人間にすべてを阻止された魔神王ゲーティアのなれの果て。彼は最後の最後に藤丸立香を運命と認め、自分に残された最後を見届けてほしいと願いました。
藤丸立香とゲーティアは戦います。この時カルデアの通信は切断され、駆けつけたサーヴァントも退去を終え、マシュはビーストⅣとお話をしているころです。
あの崩壊してゆく時間神殿には、間違いなく彼らふたりしかいませんでした。
その戦いはゲームとしてはサーヴァントを召喚してのコマンドバトルでしたが、ストーリーの展開を鑑みれば藤丸立香は生身でゲーティアと戦ったはずです。もしかしたらマシュが遺した円卓の盾を使ったのでしょうか。
とにかく自らの手でゲーティアと雌雄を決したと考えるのが自然です。
戦いの末にゲーティアは消えていきます。今わの際に人王の名を授かった彼は人生の理不尽とおかしさ、そして愛おしさを抱いて死んでいきました。
あの姿を見て「ゲーティアは最後の最後だけ人だった」と捉えるのは不自然ではないように私には思えます。
ならば、人王ゲーティアを手にかけた藤丸立香は何者なのか?
もちろん不可抗力です。生き残るためには倒すしかありませんでした。それでも、藤丸立香はゲーティアの命を終わらせた張本人です。
放っておけば消える命だったとしても、トドメを刺したのはまぎれもなく彼/彼女の決意です。
これを殺人と呼ばずなんと呼べばいいのでしょう?
実際に藤丸立香がゲーティアの結末をどう思っているかはわかりません。あの出来事について彼/彼女は(私が知る限りで)口をつぐんでいます。
これは推測ですが、あの場でなにが起こったかはカルデアのだれも知らないのではないでしょうか。
知っているとすれば決戦直前までモニタリングしていたダヴィンチちゃんだけですが、あの人はもうどこにもいません。
ただ生きたいがために人理修復をなしとげたマスターが、だれも知らない罪を秘めている。完全犯罪を成立させてしまった殺人犯。
与太イベントで馬鹿騒ぎをしていても、藤丸立香は殺人犯です。
カルデアでサーヴァントや職員と何気ない会話をしている時も、殺人犯です。
マシュ・キリエライトは自分が死んでいる間、大切な先輩が殺人を犯したと知りません。
プレイヤーである”私”しか知りえないそんな彼/彼女の仄暗さに、私は強く惹かれました。
『空の境界』にはこんなセリフがあります。主人公・両儀式の祖父が彼女に贈った遺言です。
「人は、一生にかならず一度は人を殺す」
「自分自身を最後に死なせるために、私たちには一度だけ、その権利があるんだ」
「たった一度きりの死は、大切なものなんだ。誰かを殺してそれを使いきった者は、永遠に、自分を殺してあげることができない」
「人間として、死ねないんだ」
(『空の境界(下)(講談社文庫)』P423-424より引用)
2度目以降はどうしても慣れてしまい、本来あるべき死から遠ざかってしまう。人の死とはそれほどに儚く、私とあなたに差は一切ない等価値で、尊厳ある体験なのでしょう。
話を藤丸立香に戻しましょう。いまの話を当てはめるとすれば、彼/彼女は一度きりの権利をゲーティアに使いました。ともすれば、2度目以降の殺人はどうなってしまうのか。
藤丸立香は人間として死ねないのか?
そんな視点でFGO第2部、異聞帯をめぐる旅を見ると、この問題をとても丁寧に描いているように思えます。
2020年10月の時点で、カルデアは異聞帯を5つ破壊しました。正当防衛という名の殺戮です。その実行犯である藤丸立香には、異聞帯で生きていた命を軽く受け止めている自覚はないでしょう。それは2部後期OPで夢想の絵画を幻視する様子からも察せられます。
しかし、それでも彼/彼女は”死”に慣れるしかありません。他人の”死”を背負えば”死”は薄れていく、というのが『空の境界』の哲学です。
ロシア異聞帯では「そんなことできない」と拒絶した異聞帯の破壊を結局は5回もおこないました。
本来は一度しか使えない死の権利を、藤丸立香は数えきれないほど行使したのです。
藤丸立香は日本で平穏を享受していた元一般人です。ごくごく普通の優しい若者が、そんな自分をまともだと考えられるでしょうか?
数えきれない殺戮を犯した命は、一度きりの殺人に値するほど尊いものなのだと考えるのでしょうか。
オリュンポスの市民は藤丸立香を「カルデアの悪魔」と呼びました。世界を破壊して回る災害だと。
彼/彼女は否定しませんでした。受け入れてしまったのかもしれません。
異聞帯の旅が終わり、異星の神と決着をつけてしまったら、彼/彼女はどうなってしまうのか。
あまりにもおぞましい大量殺戮をおこなってしまった自分自身をちゃんと殺せるのか。人間として許してあげられるのか。
その結末を見届けたくて、私はFGOを続けています。
2部5章前編「神代巨神海洋アトランティス」において、2部を貫くキーキャラクターカルデアの者の素顔が判明しました。
ロマニ・アーキマンに瓜二つな外見をしながらも雰囲気と証言から彼本人ではない、と判明したカルデアの者。
そうなると残された可能性はおのずと絞られてきます。私は「ある説」を想定しており、だからこそ思うことがあります。
カルデアの者の正体がゲーティアだった場合、藤丸立香はどうすればいいのか?
カルデアの者=ゲーティア説は
・本来のソロモンであるロマニの皮をかぶっている
・千里眼を所有している
・言動が人王ゲーティアに近い
・「予定にない行動だ。これだから人生というものは」という発言が終局特異点での最期と被る
といった理由からユーザーの間でも有力視されている考察です。
これが当たっていたとしたら、藤丸立香が背負った殺人の罪はどこへいけばいいのか、私にはわかりません。
人理修復を成し遂げたからこそ起きてしまった異聞帯の旅、そして大量殺戮。
ゲーティアに負けていれば起こらなかった人理漂白は、ゲーティアを殺したからこそ始まった藤丸立香への罰、とも解釈できます。
そのゲーティアが生きていたなら、どうして藤丸立香はこんなに辛い旅を始めなければならなかったのか?
殺人の罪が嘘だったとしても、彼/彼女の罰はなくならないというのに。
カルデアの者の正体は誰なのか。本当にゲーティアなのか。藤丸立香に殺された彼その人なのか。
さまざまな謎が残っている第2部ですが、私がもっとも心配しているのはそんな疑問です。
もちろんいつも明るく前へ進もうとする「光」の藤丸立香も大好きです。
ですが「真面目な理由を教えてください」との質問を受けて最初に思い浮かんだのが、人王ゲーティアの殺人でした。
なので今回は徹底的に昏く、じめっとしていて、生きているだけで窒息しそうな彼/彼女をあらためて考えました。
藤丸立香をめぐる考察としてはありきたりなものですが、質問者のご期待にそえていれば幸いです。
最後に。
今回の記事タイトル「殺人考察」は『空の境界』第二章、第七章の副題から拝借しました。
第七章・殺人考察(後)において主人公・両儀式はある人物を自分の意思で殺してしまいます。
祖父の遺言を知っていながら過ちを犯し、ひどく後悔する式。
彼女を想い続けてきた青年・黒桐幹也は、自分を人間として殺せなくなった式の代わりに彼女を殺す(≒人らしく死ぬその時まで共に生きる)と決意し、『空の境界』はひとつの結末を迎えます。
藤丸立香にとっての黒桐幹也になりうる人物、彼/彼女の罪を背負えるとすれば、それはマシュしかいないでしょう。
しかし、マシュはそもそも藤丸立香の最初の殺人を知りません。
第一、あの元一般人が大切な後輩にそんな役割を背負わせようとするかといえば、私はしないと思います。
結局のところ、藤丸立香の死を受け持てる人物なんてどこにもいないのです。
FGOの主人公、藤丸立香。
人理を救った後、彼/彼女は本当にどこへ行ってしまうのでしょうか。
今回はこのへんで。
シーズン7もお付き合いありがとうございました。縁があればシーズン8でお会いしましょう。
ではまた。
Writer:ハチミツ
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